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幸せな盲目

 それだけでもう それ以上のものは入らないはずだよわたしの身体 

 

何かを信仰する程好きになってしまうともうもはや盲目何回見てもそれは一つのストーリーの続きでしかなくて単独での評価ができなくなる もはや目が見えていないようなもの目で見えているものなんて本当に限られている 見えていないものの方が圧倒的に多い

例えばコンクリートはたまに新しくなっていて古いのと新しいのが混ざり合った道なのにわたしたちは道って信じているからこの奇妙な切り貼りみたいな地面を道としか見ていないみたいなこといつまでもそういう違いに気づいていたいそれでこそ写真を撮る人だと思うからf:id:rariru_rei:20170529024052j:image

メモ

生きていくとこは 死んでいくことだから死ぬときとてつもなく大きなものを破壊するほどの悲しみを手に入れるために今は愛とかをしたいなって思い始めてきた それは破壊されるとわかっている大きな破壊材料としての愛ということ わたしは'何かをする'ことに執着し過ぎて自分の価値観を揺るがしている 死ぬ時に破壊するほどの愛を持っていないのかも ブレないということブレずにひとつの方向に愛を向け続けるということ 生への執着みたいなもの

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偽物の金魚

偽物の金魚飼ってる家を見つけた
本物の綺麗な水がちゃんと張ってあってその中には生きていない偽物の金魚が泳いでいた 悲しかった 生きものを買うという責任をやめてしまったのだろうけれどそこにある本物の水には生きものを捨てきれない気持ちも備わっていて
無生物に対しての想いと生物に対する想いを混合させないで、いくら文明が発達しても本物の金魚にお水をあげていて。

おもいで

小さい頃にとてもお世話になった女の人がいた。彼女は「おとな」でわたしは小学生だった。彼女は美人でわたしにとても優しかった。彼女はわたしのお家に良く遊びに来ていた。わたしも彼女の家によく遊びに行ってどうぶつの森をやったりした。キラキラのスライムを一緒に作ったりもした。彼女はわたしの母がいない間住み込んでご飯を作ってくれたりした。お弁当にはいつも小さなお手紙が入っていてそれが嬉しかった。彼女はわたしに夢みたいな女の子のことを教えてくれた。例えば彼女はとても可愛がっているテディベアがいた。彼女のテディベアは生きていた。彼女からするとテディベアは全部生きていた。というか生きていないテディベアなんて知らないと言った風だった。彼女のお家にホットケーキミックスがあってわたしはそれを食べたかったのだけれど彼女はそれを「お家の無い大人のひと」にあげるからごめんねと言ってたのでがまんした。ホームレスにあげていたらしい。何日か経ってテディベアからわたしのお家にお手紙とホットケーキミックスが届いた。テディベアから手紙を貰うのは生まれて初めてだった。とても温かい気持ちになった。彼女とは疎遠になってしまったのだけれどそれは「おとなの事情」だった。彼女はよくわたしのお家に来てわたしと遊んだ後母にお話をしながら泣いた。とても泣いた。彼女がティッシュペーパーで柔らかな涙を拭きながら子どものように「おとこのひと」の話をしているのを横で見ていた。また彼女は仕事も何もしていない様だった。けれども立派なお家に住んでいたしいつも綺麗だった。暫くしてからある大人の人が母に彼女は嘘つきだったと話していた。彼女を信じると苦しむと言われていた。母はその時仲良くしていた大人の人を信頼したのだと思う。最後は重い病気だと母に話して姿を消した。彼女は確かに少し危ない人だったのかもしれない。彼女は確かに本当のことはあまり話さなかった。彼女のテディベアは命はない。けれどわたしは彼女は嘘をつくつもりでテディベアが生きている風に振舞っていたのでは無いと知っている。今でも彼女のテディベアは生きていると思う。彼女は「おとな」とは少し違う生き物だったんだとも思う。彼女が本当のことばかり話さない人でよかったとわたしはこころから思っている。おとなのする本当の話ではなくて夢の中に生きている様な人でよかったなと思う。わたしは彼女のお家に置いてきてしまったどうぶつの森のじぶんのお部屋がたまにしんぱいになる。きっとゴキブリだらけになってしまっている。彼女と会わなくなってからわたしの夢のわたしもとまってしまっている。現実を生きている。もう少しで「おとな」になる。いまでもテディベアからの手紙は大切にしている。